Rock'N Horror

Horror&Suspense Movie、Jazz、Rock、F1、Football 好きの、ぴけっとと申します。オイラの備忘録Blogにようこそ!2024年2月19日現在2731個の記事をUP済み。映画の記事の続きを読むをクリックすると、ネタバレが出てきますので、ご注意の程を。記事内の星0から5個はオイラのお勧め度で、多い程面白かったの意味です。

カテゴリ: Music

キューバ音楽に魅せられたヴェンダースとライ・クーダーが綴る感動の音楽ドキュメンタリー。ライ・クーダーがキューバ音楽の古老たちと創り上げたアルバム「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は、世界中で100万枚以上のセールスを記録し、1997年のグラミー賞を受賞した。そして2年後、長年の友人ライ・クーダーによってキューバ音楽の魅力を知ったヴィム・ヴェンダース監督は、キューバの同志たちを再訪するライ・クーダーに同行することとなる。イブライム・フェレール、ルベン・ゴンザレス、コンパイ・セグンドら、ハバナの情緒豊かな街並みと共に語られる彼らの生い立ち。そんなクラブの面々は、アルバムの成功により海外ツアーへ出ることに。オランダ、アムステルダムでのコンサートは大盛況となり、やがてアメリカに降り立った彼らは、ついに音楽の殿堂であるニューヨーク、カーネギーホールでの公演を迎える。・・・



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1824年のウィーン。"第九"の初演を4日後に控え、未だ合唱パートが完成していないベートーヴェンのもとに、作曲家を志す若き女性アンナがコピスト(写譜師)として送り込まれる。女性のコピストが現われたことに激怒するベートーヴェンだったが、やがて彼女の才能を認め、写譜の仕事を任せるのだった。・・・



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1827年ウィーン。一人の偉大な作曲家が息を引き取った。彼の名はルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン。耳が不自由だという、音楽家としては致命的な困難を抱えながらもその才能で数々の名曲を残した男。その死後まもなく、彼の書いた遺書が発見された。そこには彼が〈不滅の恋人〉と呼ぶある一人の女性に想いを込めて書かれた愛の言葉がしたためてあった。だが、そこに宛て名はない。彼の弟子であり親友だったアントン・シンドラーは、彼の本当の心を知る為にその“相手”を探しはじめる。・・・



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「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのピーター・ジャクソン監督が、ロックバンドの「ザ・ビートルズ」を題材に手がけたドキュメンタリー映画。当時残された57時間以上の未公開映像と150時間以上の未発表音源を、ジャクソン監督が3年の歳月をかけて復元・編集し、それぞれ約2時間の3つのエピソードで構成しました。ザ・ビートルズにとって最後のライブとなったロンドンの事務所ビル屋上での42分間の「ルーフトップ・コンサート」をノーカット完全版で収録するほかのアルバム「アビイ・ロード」「レット・イット・ビー」に収録された14曲の制作過程を初公開しています。
Disney+で2021年11月に配信された、、、ずーと見たかったビートルズの最後の姿。画質最悪なお蔵入り「Let It Be」海賊盤は持っていますが、これは素晴らしい貴重な映像の数々でした。オイラは「Abbey Road 」「Let it Be」は死ぬほど聞いているので、制作過程が見れるのは本当に面白かったです。昔、音楽雑誌なんかでビートルズ末期はメンバーの仲たがいが酷かったと読みましたが、レコーディング風景なんか、思ったより和気あいあいのシーンもあります。ただメンバー個人の向かう音楽性は、みんな違いますのでジョンなんか、ポールにズバリはっきり言うシーンもありますがね。
それでは、オイラの気づいた点のみ下記に書いておきます。

DISK1 最初は2週間でTVの特番用に新曲仕上げて、ライブショーを演る予定でした。でも「Don't Let Me Down」のアレンジ中、コーラスパートが決まらずジョージ、ポールもいらついてます。ジョージは常にカメラが回っているのに神経質になっているよう。
ジョージはオルガンとしてビリー・プレストンを入れたいみたい。自分より上手いクラプトンのアドリブは称賛しますが、正直やっかみが、かなりあるね。
後にジョージのソロとして発表される「All Things Must Pass」をビートルズみんなで作っています。
昔の映像とリンクして「Rock’n’Roll Music」が出てきますが、みんな彼女、家庭がありバンドとしての一体感は無いね。アフリカ・サブラタでライブショー演るか?と再三出てきます。リンゴは海外へ行きたくない、ジョージに至ってはライブ自体したくなさそう。ジョンは無言。やる気になったのはポールだけ。結局ボツになりますが。
ポールの彼女・カメラマンのリンダ・イーストマン登場。スタジオにはヨーコとリンダとリンゴの妻、ジョージのクリシュナの友達がいます。ここも、みんないろんな生活を持っていて、若い時とは違います。高校、大学、社会人と大人になるにつけ、オイラ達も同じ感覚にはなりましたね。
「I Me Mine」の練習中、ジョンとヨーコはワルツを楽しく踊ってます。
「Get Back」最初プロテストソングだった、WOW。(歌詞にパキスタン人、プエルトリコ人出てくる。)
「Across the Universe」の超速バージョンは貴重。
1969年1月10日リハ7日目、ジョージは昼までリハして、ビートルズを脱退すると言って家に帰ってしまいます。原因はポールの仕切り=命令が激しすぎて、自分の意見が通らず、切れたようです。昼から3人+ヨーコの素っ頓狂Vo(笑)でセッション開始。
1月12日、RS(アールエス、リンゴ)、PM(ピーエム、ポール)、リンダ、JL(ジェイエル、ジョン)、ヨーコで、GH(ジーエイチ、ジョージ)を説得に行くが失敗します。これはマネージャーたちの呼び名。

日本版ブルーレイ、DVDもありますが、下記、安い輸入盤でも日本語字幕付きらしいです。
ザ・ビートルズ:Get Back ブルーレイ コレクターズ・セット [Blu-ray 日本語字幕有り](輸入版)続きを読む

ビートルズのメンバーとして一世を風靡し、解散後もソロとして数々の名曲、ヒット曲を世に送り出す一方、インド文化への傾倒や映画界との交流などでも知られるロック・ミュージックのレジェンド、ジョージ・ハリスンの生涯に迫る音楽ドキュメンタリー。巨匠マーティン・スコセッシを監督に迎え、少年時代からビートルズの誕生とその全盛期を描く<第1部>と、ビートルズ解散前後からソロとしての多方面での活躍を描く<第2部>の2部構成の下、ポール・マッカートニーやエリック・クラプトンなどの多くのミュージシャンをはじめ、家族や彼と親交のあった人々の貴重な証言と数々の名曲とともにジョージ・ハリスンの偉大な足跡とその実像を描き出していく。・・・

1部を見て
ビートルズ初期の頃から大人しいジョージ。ポールとジョンの緩衝材の役割だ。
ビートルズ時代、歯医者とのディナーでジョンと自分のコーヒーにLSDを入れられてTRIPしてナイトクラブに行ったと答えるジョージ。自分で飲んだんでしょうね、これはジョージのJOKEだと思う。笑
シタール奏者ラヴィ・シャンカールとの親交により、ヒンドゥー教の神クリシュナに傾倒して、音楽で生きることや魂の結びつき、賢者の教えを学ぶ。
メンターによる「信じるな、疑うな、確認しろ。」
ビートルズのメンバー全員で、インドのマハリシの瞑想集会に行っている時、マネージャーのブライアン・エプスタイン氏が急死する。

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コンサートで女子観客の叫び声がうるさすぎて、MC聞いてとシーするポール。
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ビートルズの初期のメンバー・スチュアート(g)が死んだ後、彼女だったカメラマン・アストリット・キルヒャーの写真。ジョージが泣きじゃくるジョンを見守る天使のように立っている。

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エムおばさん、ヘンリーおじさん、そして下働きのハンク・ヒッコリー・ジークとともにカンザスの農場に住む少女ドロシー・ゲイルは「虹の彼方のどこかに(Somewhere Over The Rainbow)」よりよい場所がある」と夢見ている。ある日大地主のガルチ夫人の足を噛んだと愛犬トトが処分する為、連れていかれてしまう。ドロシーは悲しみに暮れたがトトはなんとか脱出してきた。ドロシーはこのままではまた捕まってしまうと家出をする。当てもなく歩いている時、川のほとりで占い師マーベル教授の店を見つける。占い師から(イカサマですが)エムおばさんが倒れた聞いてドロシーは慌てて帰宅する。家に着く頃、トルネードが襲来。おじさんたちは地下室に隠れていたが、ドロシーは部屋の窓が壊れて頭を打ち気絶する。ドロシーは夢の中で、トトや自分の家とともに魔法の国へ運ばれてしまう。そこで出会った北の良い魔女は「黄色いレンガの道をたどってエメラルド国に行き、オズの魔法使いに会えば、カンザスへ戻してくれるだろう」とドロシーに助言してくれた。旅の途中で彼女は脳みそが欲しい案山子、心が欲しいブリキ男、勇気が欲しいライオンと出会い、ドロシーや彼らの思いを胸に、彼らと絆を深めながらエメラルド国への旅をともにする。・・・



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1969年、ニューヨーク・ブルックリン。ジャイアントを含む4人の少年がブリークを通りから大声で呼ぶと躾に厳しい母親は少年達に「静かに」と叫ぶと家の中に戻り、家の中でトランペットの練習をしていたブリークに「彼らにここに来ないように言いなさい」と命じた。ブリークが「外で遊びたい」と言うと母親は練習が終わったら、と頑なに拒否した。居間で野球を見ていた父は「好きにさせてやれ」と言った。ブリークは母に逆らえず、外で待っていた友人達を追い返した。女々しい奴だと言われても言い返せず、母の前に戻ると「友達とちっとも一緒に遊べない」と不満を口にした。野球狂の父親は母親の味方をするばかりだった。20数年後、ブリークは自身のジャズ・バンドを持ちクラブで演奏をする人気トランペッターになっていた。マネージャーは幼い時からの友達ジャイアントだった。その日もクラブで演奏していたのだが、メンバーの一人アルトサックスのシャドウが周りに構わず独り善がりのソロをするが、一度袖に引っ込んだブリークがジャイアントに促されるまま演奏に戻り演奏が終わると盛大な拍手が贈られた。楽屋に戻るとブリークはシャドウに「スタンドプレーだ」と責めるが、ジャイアントとブリーク以外の皆は「シャドウの演奏は良い」と庇った。ブリークは「ソロは45分以内に抑えるかそれともバンドを辞めるか自分で決めろ」と迫った。翌朝、ブリークは自分のアパートで恋人のインディゴと過ごしていた。「休んだらお前の生徒が悲しむ」とインディゴを起こしブリークはニューヨークヤンキースのユニフォームを着ると父親とキャッチボールに出かけたのだが、始めてすぐに父は腕を押さえた。以前腕を痛めていたのだが、父は「年のせいだ」といい「氷で冷やすから寄っていけ」というブリークの勧めを断り帰宅した。アパートに戻ったブリークは愛用のトランペットの手入れを始めそれが済むと指遣いとリズムの練習を始めた。練習中に二股をかけている恋人のクラークがやって来た。ブリークは「決めてある練習の時間は来るな」と言いながらも彼女を家に上げた。クラークは「そんなに音楽が大事ならジャイアントはクビにしろ、彼は酷いマネージャーだ」と進言した。2人は愛し合っていないのだからメイク・ラブではないといいながらもセックスした。ベッドの中でクラークがふざけてブリークの唇を噛むと、彼は血相を変えて洗面所に駆け込み「唇は大事な商売道具だから噛むな」と怒鳴った。その頃マネージャーのジャイアントはと言えば、「お前とはもうこれで最後だ」と言い捨てた男とメジャー・リーグを使った野球賭博に勤しんでいた。



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Ericclaptoncream
昔VHSから落としたDVDを見ました。
バンド名のクリームの意味って、精粋(せいすい)だって?
何、これっ??ググると、「まじりけがなく最もよいところ」だって。
ふーん、最高の物ってことらしい。
若き3人のライブを見ながら、壮年のみんなが語ります、
バンドを組んだエピソードから解散までを。
音楽はブルースですけど、ジャックの声って何時聴いてもサイケですね、笑。

メルボルンに生まれたデイヴィッドは、厳格な父親の元、ピアニストになるべく英才教育を受けていた。才能を発揮し天才少年と呼ばれた彼はアメリカ留学の話を薦められるが、父親が経済的な理由と自分から離れていく事をよしとせず断ってしまう。しかし、コンクールでの演奏が評価され、イギリスの王立音楽院に奨学金で留学する話が持ち上がると、父親の反対を受けながらも、家出する形でロンドンに渡る。新たな師の元ピアノに打ち込むデイヴィッドは、コンクールで難関であるラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」に挑戦し見事に弾いたものの倒れる。そして精神に異常をきたし始める。地元に戻り精神病院に入り一進一退が続くが、療養所の女性に引き取られて退院し、ある日バーでピアノを弾き始め、それが新聞で話題に上り再び演奏家の道を歩もうとし始める。・・・




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フランス西南部の海辺の街ロシュフォールは、年に一度の祭を二日後に控え賑わっていた。その街にはソランジュとデルフィーヌという美しい双子姉妹が住んでいた。姉のソランジュは音楽家を、妹のデルフィーヌはバレリーナを志し、いつの日かこのロシュフォールから飛び出し花の都パリで自分達の力を試してみたいと思っていた。また彼女たちには、いつの日か素晴らしい恋人にめぐり逢いたいという夢もあった。姉妹の母親イヴォンヌはカフェの女主人で、彼女の気さくな人柄で多くの常連客もおり店は繁盛していた。その客の中には、今回の祭に出演するために訪れた曲芸師兼ダンサーのエチエンヌとビルの二人組や、理想の女性の人物画を描いている水兵のマクサンスがいた。


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第一部 旅立ち 1957年11月~
アルジェリア戦争ただ中のフランス。港町シェルブールに住む20歳の自動車整備工ギイと17歳のジュヌヴィエーヴは結婚を誓い合った恋人同士。20歳のギイは病身の伯母エリーズと、17歳のジュヌヴィエーヴはシェルブール雨傘店を営む母エムリ夫人と暮らしている。エムリ夫人は2人が若過ぎる事を理由に結婚に反対するが、2人は将来生まれて来る子供の名前(女の子だったらフランソワーズ)を考えたり自分たちのガソリンスタンドを持つ夢を語り合ったりと幸福な恋愛を謳歌していた。そんなある日エムリ夫人に莫大な8万フランの納税通知書が届く。切羽詰まっていたエムリ夫人は娘に説得され大切なネックレスを売る決心をして、娘を連れて宝石店へ行った。店主との交渉はうまく進まなかったが、たまたま居合わせた宝石商ローラン・カサールが、その場でネックレスを購入してくれた。やがてギイに召集令状が届きアルジェリア戦争において2年間の兵役を務めることになった。尽きる事無く別れを惜しむギイとジュヌヴィエーヴ。その夜2人はギイの部屋で結ばれた。ギイは幼馴染みのマドレーヌに伯母の世話を頼みジュヌヴィエーヴと永遠の愛を誓い合って、シェルブール駅で別れを告げ入営する。
第二部 不在 1958年1月~
ある日エムリ夫人は町でカサールと出会い食事に招待する。妊娠していることを知ったジュヌヴィエーヴはギイから2ヶ月に1回しか手紙が来ないことを不安に感じていた。ジュヌヴィエーヴが気分が悪いと休んだ後、エムリ夫人に引き止められたカサールはジュヌヴィエーヴに結婚を申し込むつもりだったことを打ち明ける。ジュヌヴィエーヴに出会いカサールは失っていた人生の目標を見つけることができたのだった。決めるのは本人なので押しつけないように頼み、カサールはまた旅に出る。手紙で妊娠を知ったギイからは2月に「男の子だったら名前はフランソワ」と喜びの返事が届く。だがギイを待ち続けていたジュヌヴィエーヴは次第にカサールに心を開き、子どもを一緒に育てようという求婚を受け入れる。結婚からしばらくしてエムリ夫人も店を処分し娘が住むパリへと移住する。


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複雑な生い立ちや容姿へのコンプレックスを抱えた孤独な若者フレディ・マーキュリーは、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーたちと出会い、バンド“クイーン”を結成する。この個性的なメンバーの集まりは、互いに刺激し合うことで音楽的才能を開花させていき、常識にとらわれない革新的な名曲を次々に生み出していく。そしてついに、ロックとオペラを融合させた型破りな楽曲『ボヘミアン・ラプソディ』が完成する。しかし6分という当時としては異例の長さに、ラジオでかけられないとレコード会社の猛反発を受けるフレディたちだったが…。


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ロジャー・ウォーターズの2010年~2013年に行なわれた“The Wall Live"ツアーの模様を追ったドキュメンタリー映画「Roger Waters The Wall」に合わせてリリースされる最新ライヴ作品。“The Wall Live"ツアーはピンク・フロイドが1979年に発表したコンセプト・アルバム『ザ・ウォール』を完全再現するもので、演奏が進むごとにステージ壁が積み上げられ、飛行機が飛んできて壁に激突、巨大な人形が出現し、ブタは飛び、最後に壁が崩れ落ちるという凄まじいスケールのステージで、3年間で219公演、ソロ・アーティストとしては歴代最高の興行収益を記録した。映画ではライヴや舞台裏とともに、1944年にイタリアで戦死した、祖父が眠る場所へ訪問する模様などロードムービー的な要素も盛り込まれている。・・・




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1830年、バイオリンの名手で悪名高き女たらし、パガニーニはヨーロッパ全土で絶賛されキャリアの頂点に立っていたが、ロンドンでだけはまだ名声を得ていなかった。パガニーニを英国デビューさせるべく、指揮者ワトソンは財産を投げ打ってロンドン公演を計画、マネージャーのウルバーニは、嫌がるパガニーニを眠らせてイギリスに連れ出すことに成功。ジャーナリスト、ランガムの絶賛記事にも助けられロンドンの人々はパガニーニの演奏を待ちわびていた。・・・



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1940年代のアメリカ・ニューヨークの夜の街。小刻みなライドシンバルのリズム、うねるようなウッドベースそして、アルトサックスの音色。ビバップの創始者、アルトサックス奏者のチャーリーパーカー(バード)はその卓越したメロディセンスとアドリブで観客の歓声を浴びていた。しかしその裏では、潰瘍による苦しみ、アルコール、ドラッグに溺れる日々、そして音楽に対する深い不安を抱えた彼がいたのであった。・・・



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天才ピアニスト、ミッシェル・ペトルチアーニ。成人してからも身長が1メートルほどしかない骨の病気に苦しみながらも、類い希な音楽的才能でジャズの本場アメリカにその名を轟かせる一方、プライベートでは数々の女性遍歴を重ねていく。そんなペトルチアーニの情熱的で型破りな人生と、周囲を虜にしてしまうカリスマ的魅力を、彼の演奏シーンや日常を捉えた貴重な映像の数々と関係者へのインタビューで明らかにしていく。・・・



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英国のバンド、クオリーメンはメンバーチェンジを経て1960年、ザ・ビートルズと改名して再出発するが、無名時代はドイツのハンブルクで多忙な毎日を過ごした。しかし、1962年にデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥ」を発表した後、母国だけでなく世界中を熱狂に巻き込むほどの人気バンドになる。彼らはワールドツアーで日本など世界各地に向かうが、バンドがカリスマ的になり過ぎたことに対してジレンマを感じるようになる。・・・



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1970年代後半の5年間、ミュージックシーンから完全に姿を消したマイルス・デイヴィスは、慢性の腰痛に悩まされドラッグや鎮痛剤の影響から、自宅で1人すさんだ生活を送っていた。そんなマイルスのもとにローリング・ストーン誌の記者・デイブ・ブレイデンが強引におしかけてきた。それから2日間、2人は盗まれたマイルスの最新曲のテープを取り戻すため思わぬ追跡劇に巻き込まれた。・・・



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1950年代に一世を風靡した、ジャズ・トランペッター「チェット・ベイカー」は、ドラッグ絡みのトラブルをたびたび起こしスポットライトから久しく遠ざかっていた。 1966年公演先のイタリアで投獄された後、アメリカに帰国したチェットは俳優として自伝映画の撮影に参加する。しかしヤクの代金未払いにより売人から惨たらしい暴行を受け、アゴが砕かれ前歯を全部失う重症を負わされた。これは今までのキャリアの終焉を意味していた。トランペットが吹けないチェットの心のよりどころは、映画で共演した女優ジェーンの存在だった。 ジェーンの献身的な愛に支えられ、険しい再起への道のりを乗り越えていくチェットだった。



ブルーに生まれついて amazon
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