パリ・パッシーのアパルトマンの空室でうらぶれた45歳のポールとブルジョア系の20歳の娘ジャンヌは単に部屋を探していた身であったが、たまたま居合わせて、ポールはジャンヌを犯す。ジャンヌにはれっきとしたTVディレクターのトムという恋人が居たものの、アパートで会う時は互いにただのオス・メスとして行為に更ける。その内にポールの妻が最近自殺したばかりだという暗い過去が明らかになり、更に5年の結婚生活の内、妻にはこの1年間は不倫男がいることも明らかになった。・・・



たまたまアパートを借りに出かけた2人が唐突にセックスして、嫁に自殺されたその中年男ポールがその部屋を借りて、20歳の女ジャンヌが時々訪ねて来ます。名前も職業も住所も、その部屋では話してはいけないルールを作り、お互いの体を貪り合うだけの関係。(ある意味、究極の自由を2人は満喫してるようです。)しかし女の方がだんだん男の素性の詮索に走り始め、「自分のことを何故聞かないの」とムキになり始めます。しかしポールは冷静にいなします。その後、恋人のトムに求婚され舞い上がるジャンヌ。それでもポールも愛してるジャンヌでしたが、突然ポールはジャンヌに内緒で、その部屋を引き払ってしまいます。ショックで打ちひしがれるジャンヌ。(やはり女は魔性、口と体と心は別物ですか?女には必ず墓場に持っていく秘密があるのですな。)そして駅で突然声をかけてきたのは、あのポールで彼は一緒に住もうと言い出しました。今度はポールが我慢できずに自分の過去を全て話します。でも、そんなの彼女は要らないから、ポールに別れを告げて逃げ出します。後を追い実家にまで入り込むポール。そしてポールはジャンヌに撃たれベランダで死にました。ジャンヌは最後、一人で呟きます。「知らない男にレイプされそうになったの」と。あー怖っ。女の優柔不断さの極致ですな。

以下、ウィキより引用。
1970年代前半の映画にして大胆な性描写(一般映画として、アナル・セックスの描写がある初の映画と言われる)が世界中に物議を醸し、本国イタリアに至っては公開後4日にして上映禁止処分を受け、日本でも下世話な話題ばかりが先行し、当時の興行成績は芳しくなかったという。反対に支持者も多く、ミッキー・ロークはこの映画の大ファンであり『ナインハーフ』を作るきっかけになったという。
主演のマーロン・ブランドにとっては辛い映画であり「役者として拷問のような体験だった」と語っており、私生活でも泥沼の裁判劇の挙句敗訴という憂き目に遭った。ヒロイン役のマリア・シュナイダーに至っては波乱万丈の人生を余儀なくされ、この映画に出演した事を「人生最大の痛恨」と語っている[4]。しかし両名の演技の評価は高く、特にブランドの中年男の悲哀感をたっぷりにじませた迫真の演技は圧倒的なものであり、本作でブランドはニューヨーク映画批評家協会賞を受賞している。
当初はドミニク・サンダがヒロイン役として考えられていたが、妊娠のため降板した。映画冒頭ではフランシス・ベーコンの絵画が2点起用されており、主人公達のコスチュームデザインもベーコンの絵画から作られている。
2016年、ベルトリッチが2013年に応じたインタビュー動画が公開され、その中でレイプシーンの撮影はマリア・シュナイダーに告知せず、了承を得ないで行われていたことを明らかにした。ベルトリッチは自身とブランドがシュナイダーに詳細を言わないままレイプシーンを撮影する計画を共謀したと告白、「罪悪感はあるが後悔はない」と述べた。

ポルノ裁判
本国イタリアでは上映禁止になっただけでなく、猥褻映画だとして主演のブランドとシュナイダーの両名は出頭しなければならなくなり、ポルノ裁判に掛けられ有罪になってしまった。また本国では1987年になりようやく解禁され、ビデオソフトなども発売できるようになったという。『地獄のハリウッド(宝島社)』によると、この事件がきっかけでブランドは前妻に「こんな恥さらしなセックス映画に出た人に父親の資格がない!」と言われ、全面的に親権を奪われてしまったという。

1972年 イタリア映画 Ultimo tango a Parigi、Last Tango in Paris ★★
監督・脚本・製作:ベルナルド・ベルトルッチ
製作:アルベルト・グリマルディ
脚本:フランコ・アルカッリ
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
音楽:ガトー・バルビエリ
出演:マーロン・ブランド:中年男ポール
マリア・シュナイダー:ジャンヌ
ジャン=ピエール・レオ:トム、TVディレクター
マッシモ・ジロッティ
カトリーヌ・アレグレ
カトリーヌ・ブレイヤ
ヴェロニカ・ラザール