元禄14年3月14日江戸城松の廊下にて、赤穂藩主浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が高家旗本である吉良上野介(きらこうずけのすけ)に刃傷(にんじょう)に及ぶ事件が発生。原因は吉良が口にした浅野への侮辱の言葉の数々だった。幕府は喧嘩両成敗の御大法に反し浅野のみ切腹を命じ吉良にはお咎めなしの決定を下す。取調官の多門伝八郎はこの不公平な決定に反発するが、大老柳沢吉保から「お上の御一言こそ、その時々の御大法」と一蹴されてしまった。間もなく赤穂藩のお家断絶と領地没収が決定。刃傷から4日後、赤穂藩では藩士の橋本平左衛門とはつの婚礼が行われ披露宴が行われていた。しかし主君の切腹とお家断絶の報が届くと、その空気は一変。城代家老である大石内蔵助(おおいしくらのすけ)は大勢の藩士を前にして、届けられた主君の辞世の句を読んだ。
「風さそう 花よりもなお 我はまた春の名残りを いかにとやせむ」その場はむせび泣く藩士たちの声に包まれた。大石は悲しみをこらえながら領民の混乱を避けるべく対策を講じ、籠城を主張する藩士に対しては冷静になるよう言いつけた。城明け渡しの日が少しずつ近づく中、大石は家臣の追腹殉死によってお家再興を嘆願することを決めます。この決定を恐れた一部の家臣は夜逃げしたが、藩士の多くは大石の考えに賛同していた。しかし城明け渡しの直前に藩士たちを前にして大石が口にしたのは予想外の言葉でした。「目指すは吉良上野介一人、白髪首ただ一つ」…追腹殉死の命令は吉良を討つ同志を選び抜くための手段に過ぎなかったのだ。この大石の言葉に藩士たちは興奮し、ただちに誓紙血判が行われた。・・・

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日本人なら、みんな知ってる殿に忠義を尽くす武士の仇討ち美談です。オイラが初めて見たのは、1958年大映の忠臣蔵でした。さて、本編の話の流れは一緒なるも、本作では萬屋錦之介の眼光が、迫力あり過ぎで恐いっす。まるでいつも、鬼の形相ですなぁ。これはメイクの仕方での変身なんですが、にこやかに笑っていても恐ろしい大石内蔵助なんですよ、笑。

1978年 日本映画 The Fall of Ako Castle or Swords of Vengeance ★★
監督 : 深作欣二
企画 : 高岩淡・日下部五朗・本田達男・三村敬三
原作・脚本 : 高田宏治
撮影監督 : 宮島義勇
撮影 : 仲沢半次郎
美術 : 井川徳道
照明 : 中山治雄
録音 : 荒川輝彦
編集 : 市田勇
音楽 : 津島利章
出演:萬屋錦之介 大石内蔵助
千葉真一 不破数右衛門、元浅野家の家臣で、浅野内匠頭刃傷の時はすでに浪人生活していた。大石に使えて討入を果たす。
松方弘樹 多門伝八郎
西郷輝彦 浅野内匠頭
渡瀬恒彦 小林平八郎、吉良の家臣。討入の夜、不破数右衛門と戦い負ける。
近藤正臣 橋本平左衛門。浪人中、勝手に吉良暗殺を画策。実行前に吉良の刺客に脚を切られ以後、妻はつの世話になる。家は金も底をつき、はつは女郎屋に身売り。仇討ちの前日、連れに来た間十次郎と酔って口論になり挙句の果て、はつに刺され死亡する。
原田美枝子 橋本はつ、夫、平左衛門と口論になり短刀で刺してしまうが、自分も切られて死す。赤穂浪士の中で悲惨な家族になった。
丹波哲郎 柳沢吉保。太平の世では幕府の威厳のみ重要であると考えている。吉良を守り続けた。
芦田伸介 色部図書
三田佳子 瑤泉院、出家前は浅野内匠頭の妻。
岡田茉莉子 大石りく、大石内蔵助の妻
三船敏郎 土屋主税、吉良家の隣に住む武士。赤穂浪士の討入りに感服し、吉良家から我が家へ逃げる者は切れと指示する。
森田健作 間十次郎