1973年8月からアメリカ人ジャーナリストのシドニー・シャンバーグと、現地の新聞記者であり通訳でもあるディス・プラン(カンボジア人)はカンボジア内戦を取材している。しかしカンボジア内戦は次第にポル・ポト率いるクメール・ルージュ(赤いクメール)が優勢となり米軍が撤退を開始。この時、シャンバーグはプランの一家をアメリカに亡命させようとするが、プランは仕事への使命感から妻子のみをアメリカに逃がし、自分はカンボジアに残ることを決意する。そしてシャンバーグとプランは取材活動を続けていく。やがてカンボジアは完全にクメール・ルージュに支配され、シャンバーグたちはクメール・ルージュに捕まるがプランが交渉して助けてくれた。その後みんなフランス大使館に避難。シャンバーグや他社の記者は、外国人であるから帰国により逃れることができるが、カンボジア人であるプランは逃げることができない。そこでシャンバーグらはパスポートを偽造してプランをアメリカに亡命させようと画策する。ところが粗悪な印画紙に写真を焼き付けたため、偽造パスポートの写真の画像が消えてしまいプランを逃すことに失敗する。そのためプランはフランス大使館を出ることを余儀なくされ、クメール・ルージュの支配する集団農場へと移送されてしまった。時は1975年4月。集団農場では人は理由もなく銃殺されていく。農場への往復の際に徒歩ではなく荷馬車に乗っていただけで銃殺され、作業が緩慢という理由だけで銃殺される。また身分を隠していた元教師、元医師たちは、「クメール・ルージュは君たちを許す」という嘘にだまされて、身分を明かしてしまい、その結果、銃殺されていった。(あらすじはウィキを改変。)



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